東京の台所

先日、東京都中央区に事務所を構える不動産会社へ伺わせて頂きました。

初めて伺わせて頂き中央区近辺の市場含めお話しを伺いました。

中でも話題になる内容は、築地から豊洲新市場への話しが多く私自身詳しく無かった為個人的に調べてた内容を含め日本を代表する東京の台所の生まれた経緯を紹介させて頂きます。

築地市場は初期から中央区に所在していた訳ではなく江戸時代1603年頃から築地市場の前身ともいえる日本橋魚河岸から誕生しました。

現代の様な機械運搬などはなく物流が人力頼みであり冷蔵・冷凍技術もなかった時代において鮮度が生命線である魚市場は必然的に都心部に立地しなければならなかった為中央区築地に位置したと言われております。

築地市場というとマグロなどの水産物をイメージしますが築地市場には野菜や果物を売買する青果部もあり、こちらは京橋にあった青物市場がルーツと言われています。

京橋青物市場も関東大震災で被災後に1935年に築地市場へと統合し現在に至っています。

1960年代に入ると物流の主役はトラック輸送へと変わっていき、この頃より築地市場の老朽化が目立つようになり、市場の許容量も限界に近づいていたこともあり築地市場の拡張もしくは移転が検討され始められました。

築地市場の移転先となる豊洲市場は東京臨海新交通臨海線の市場前駅が最寄駅になっており湾岸エリアはタワーマンションの建設ラッシュに奮起していますが、広大な豊洲市場の周辺には豊洲PITや新豊洲変電所があるほかは特に目立つランドマーク性のある建物は無かった為、駅隣にある豊洲駅が注目されたとのことです。

こういった市場の歴史を紐解いていくと日本経済の紆余曲折があり現代に至ることが分かります。

市場の歴史を振り返った上で改めてもう一度市場に行ってみると風景が変わって見えるかもしれません。

 

Fudousan Plugin Ver.1.7.5